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『人生会議』と『バビロン』から生と死について考えてみた。~医療従事者とアニオタの観点から~

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筆者は特定の思想や信条を肯定するわけではございません。また、本記事には過激と捉えられる表現が含まれています。

 

   

 

テーマは『生と死』について

 

内容自体はきちんとした結語があるわけではなく、個人的な主観と経験を交え『生と死』を題材にしたものです。重くないような内容にしたつもりですが・・

 

『人生』を『会議』

先日、『人生会議』なるポスターが話題になりました。小藪一豊さんを起用した4000万以上の製作費を投じたポスター。

 

www.mhlw.go.jp

 

何故、話題になったかというと・・

 

『死』を前にして、自分がどう生きたいかを家族と話す『人生会議』を啓発する目的のポスターであるにもかかわらず、ポスターの内容が死が迫ったような緊迫したものだったから。

 

自分の『死』を家族とどう話し合っておくか、これは非常に大事なことだと思います。緩和ケア領域では必須と言えるでしょう。

 

しかし、伝えたいことがきちんと伝わるポスターであったかどうか・・個人的な主観で言わせていただくと『NO』です。温かい雰囲気で家族が話し合っている構図にすればよかった、それだけで印象が違ったと思います。そして小藪節といいましょうか・・茶化したようなセリフもいらなかったんではないかと。彼の芸風からしてそもそもミスキャスティングだったのではないかと思います。

 

しかし、炎上したことによって『人生会議』は意図せず話題となりました。元々『人生』『会議』することに理解のあった人や今そういう状況にある人にとっては不快に感じたポスターも、『死』を遠くに感じている人・家族や自身の死の想像がしにくい人にとっては『死』やどう生きるかを考えるいいきっかけになったとも言えるのではないかと。

 

前置きが長くなってしまいましたが、人生を会議し自分で生と死の境界を決めておくことがなぜ必要なのか『現場の視点』『個人的な経験』から述べたいと思います。

 

医療の現場で視る生と死

「生と死の境界ってどこ?」

 

心臓が止まり死亡確認された瞬間が『死』。であることはわざわざ言う必要のないことですが、人によって『死』の定義は異なると思っています。

 

「野球一筋の人間が怪我で野球が出来なくなったら・・?」それを死と捉える人もいるでしょうし、「寝たきりになって言葉も話せない状態を生きているとは言わない」と思う人もいるかもしれません。

 

現在の日本の医療技術では、即死でなければある程度生き永らえることが可能です。私が臨床工学技士として働く現場では、生体代行機能装置を使い命を救っています。心臓と肺を機械に代行させることで心臓が止まってしまっても生き永らえることが出来ます。

 

そういう手段があることを医師は患者家族へ提示し、家族はそれを選択する。

 

しかし、生き永らえることはできても以前のように元気で歩いて日常生活を送れないこともあります。『死』や『後遺症』の想像が中々できない方にとってはその選択によってそのあとに続く先の見えない介護に苦しむことも・・。

 

生と死を選択させられる救急領域において、事前に『人生』を『会議』していないとその場での流れに身を任せたまま急場しのぎの選択をしてしまうことも。

 

父を生かすか殺すか

救急の現場でそういった選択を迫られる場面をよく見てきましたが、私自身も命の選択を迫られた経験があります。

 

父が急性心筋梗塞で倒れた時です。

 

倒れて病院へ運ばれるまで短くない時間が過ぎており、脳へのダメージは避けられない状況。仮に心臓が再び動いても一生目を覚ます事は無いのが想像に難しくありません。

 

この時ほど、事前に『死』の定義について父と言葉を交わしておいてよかったなぁと思ったことはありません。長年透析をしていた父は自分の命が長くないことを熟知していましたので、死に方について時に冗談っぽく私たち家族には伝えていたので迷いはしましたが延命処置を私は選択しませんでいた。

 

自分がどう生きたいか?どこまで生き永らえたいか?その定義を家族と元気な内から話しておくべき。寝たきりになっても言葉を交わせなくてもそれは『生きている』と定義して救ってほしいのか、それは避けてほしいのか。後遺症を抱えたまま介護することを家族は納得するのか・・。医療に携わっていなければ死は想像できないもので、仮に救命処置で助かってもどのような顛末になるのか中々把握できません。

 

どこまでを『生きる』に定義して、死と選り分けるのかこれは家族と相談すれば明確化できる部分かと思います。

 

バビロンを視聴して・・

いきなりフィクションになってしまいますが、『自殺法』という架空の法律を題材にしたアニメ『バビロン』が現在放送中です。

 

babylon-anime.com

 

決して少なくない日本の自殺率を鑑みるとかなり社会問題に踏み込んだ内容の作品。

 

公が自死を選択する事を許すかどうかという部分が焦点なのですが、死を選択肢に入れる事で死を回避し踏みとどまれる可能性にも言及しています。

 

自分が『死』を行使する。

自分で『死』を行使する。

 

家族と相談し『生きる』を定義づける一方で、自分で自分の『ゴール=死』を決定するそれが許される世界。辛い治療が続こうとも延命を望む家族の意向ではなく、自分で安らかな終わりを決められるのです。

 

決して自殺を推奨しているわけではありませんが、『生かす』選択があるなら『終わる』選択があるべきで、バビロンは終わらせる一つのやり方を提起しています。

 

ショッキングな展開で観る人を選びますが、死について考えさせられる面白い作品。最新話放送が年末なので今から観始めても追いつけますよ~。

 

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まとめ

家族会議はどこまで生を続け、どこで終わらせるか、自分や家族の終活をきちんと考える機会です。決して褒められたポスターではありませんでしたが、批判するだけではなく、家族と生と死について会議し最期の在り方を決めておいてほしいなと思います。

 

指針が無ければ、選択に後悔することがきっとあります。たった一度の人生、たった一度の死に際。後悔の無いようにしたいですよね。